2007年11月19日
むずかしいことをやさしく
ラジオで、井上ひさしさんの言葉が紹介されていました。
むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをおもしろく
おもしろいことをまじめに
まじめなことをゆかいに
そしてゆかいなことをあくまでゆかいに
共感です。
すべてにおいてこうありたいと思います。
建築、まちづくり、人生、そしてこのブログも。
むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをおもしろく
おもしろいことをまじめに
まじめなことをゆかいに
そしてゆかいなことをあくまでゆかいに
共感です。
すべてにおいてこうありたいと思います。
建築、まちづくり、人生、そしてこのブログも。
2007年09月29日
美しさの責任
美の基準には様々あるが、見方によってはひとつしかない。
「美しいものは美しい!」
我々が生きていく中で、そんな瞬間に出会えることは幸福である。
美しさを感じるのは、カタチなきものである場合もあれば、ヒトやモノや風景の場合もある。
さあ、マチや建築はどうだ?
本来、我々のように建築設計に携わるものたちは、そんな美しさに対する大きな責任を担っている。
しかし、現実の日本社会では、さして重要視されていない。
モノと違って、マチや建築はエゴイスティックに人々の視界に入ってくる。
それならば、すべての人が、もっとその建築や建築家や建築主の責任を追求してもいいのではないだろうか。
(もっとも、責任を追及する立場と追求される立場、誰もがどちらの立場ともなりうるということを念頭においての話。)
日常の会話の中で、マチや建築が話題に登る機会が増えれば、状況は変わってくるのではないだろうか。
そんなことで、このブログでは、少々難しい話も、くだらない話も、すべて同格に提供していきたい。
そしてそれらの話しが少しでも膨らんでいくことを信じたい。
「美しいものは美しい!」
我々が生きていく中で、そんな瞬間に出会えることは幸福である。
美しさを感じるのは、カタチなきものである場合もあれば、ヒトやモノや風景の場合もある。
さあ、マチや建築はどうだ?
本来、我々のように建築設計に携わるものたちは、そんな美しさに対する大きな責任を担っている。
しかし、現実の日本社会では、さして重要視されていない。
モノと違って、マチや建築はエゴイスティックに人々の視界に入ってくる。
それならば、すべての人が、もっとその建築や建築家や建築主の責任を追求してもいいのではないだろうか。
(もっとも、責任を追及する立場と追求される立場、誰もがどちらの立場ともなりうるということを念頭においての話。)
日常の会話の中で、マチや建築が話題に登る機会が増えれば、状況は変わってくるのではないだろうか。
そんなことで、このブログでは、少々難しい話も、くだらない話も、すべて同格に提供していきたい。
そしてそれらの話しが少しでも膨らんでいくことを信じたい。
2007年09月16日
「沈思彷徨」
このブログのタイトルにある“沈思彷徨(ちんしほうこう)”という言葉は、写真家・随筆家・藤原新也氏の造語であり、氏の著書(1996年『沈思彷徨』筑摩書房)のタイトルです。
世界各地を旅して写真を撮り続けてきた氏は、この造語について同著のあとがきの中で次のように語っています。
“寡黙に何かを思いながらあちこちをさまようた私自身のありさまのことである”
そして、氏は同著のなかで、時代の閉塞状況を切り開く「言葉」の重要性を説いています。
今回、ブログタイトルに思いを巡らすとき、私の気分に合う言葉が、「沈思彷徨」でした。
藤原新也の本
世界各地を旅して写真を撮り続けてきた氏は、この造語について同著のあとがきの中で次のように語っています。
“寡黙に何かを思いながらあちこちをさまようた私自身のありさまのことである”
そして、氏は同著のなかで、時代の閉塞状況を切り開く「言葉」の重要性を説いています。
今回、ブログタイトルに思いを巡らすとき、私の気分に合う言葉が、「沈思彷徨」でした。
藤原新也の本
