2007年10月05日

記憶

ここのところ、地域の活性化・まちづくりに目覚め、各方面に働きかけています。
プライベートな場からパブリックな場まで、恥ずかしげもなく「文化」の重要性を語っています。

そのときに、私の住む四日市は、県内の他地域とは少々事情が異なり、それがまちづくりを難しくしていることに気づきます。

かつては宿場町として栄え、その後、港を中心に産業が起こり、菜種油・肥料・生糸・紡績・機械・化学といった順に、いわば順調に産業が栄え、それと共に街が栄えました。
ところが、1945年6月、そんな繁栄が仇となり、空襲の標的となって市街地は壊滅(焼失戸数10,478戸、罹災者49,498人;四日市市ホームページより)。

そこで、多くの記憶をなくしてしまいました。

しかし、この四日市の特殊性は、その後も同様な歴史が繰り返されたことにあります。
戦後の復興のあとも、伊勢湾台風や四日市ぜんそくにより、物理的な記憶が消えるだけでなく、頭の中の記憶からも消し去りたいような歴史が重なります。
もちろん、いまではそれらのほとんどは復興・改善されています。
しかし、「文化」という面では、まだまだ後遺症が残っているような気がしてなりません。

“歴史なんてほとんど残ってないんじゃない?”
“文化なんてあるのかな?”


文化財的なものだけが歴史ではありません。
歴史的なものだけが文化ではありません。

古いものが少なくても、だからこそ残されたものには大きな価値があります。
また、記憶喪失から新たに生まれたものでさえ、十分に新たな記憶が芽生えています。
さらには、記憶を失った事実さえも、記憶となりつつあります。

それらすべてが「文化」なのではないでしょうか。


この記事へのコメント
昨日、ショートメール送ったけど、
気付いてもらってないかな?

結構、こういう難しそうな点も
押さえてビジネスを考えるのは
大事ですネ。
Posted by boook at 2007年10月05日 07:31
bookさん
ビジネス???
最近、どこまでがビジネスか分からなくなりました。
Posted by his at 2007年10月05日 08:47